妄想で楽しんだアノ頃

中高生のころを思い返すと、好きな男性タレントと付き合えたらどうしようなどと、今考えたら冷や汗の出るような夢を本気で描いていたりした。

その後、男性タレントは学校で一番人気の誰かになり、社会に出てからは社内の女子社員憧れの的の誰かになり、夢にも少しずつ現実が入り込んできたような気がする。
友人たちの話を聞いても、だいたいそのような変遷をたどっているようだ。

夢を見るより真剣に婚活を考えたほうがいいような年齢になっても、ケーキを頬張りながら「通勤途中で素敵な男性に声をかけられたら」などという妄想を友人と語るのは楽しい。
ちょっとした妄想は、日々を乗り切る一服の清涼剤なのだ。

たとえそれが、「実はその男性はどこかの御曹司で」「しかも次男で」といった、煩悩含有率の高いものだとしても。

好きな人と過ごす妄想をする

私には妄想癖がある。
といっても病的な話ではない。
あくまで世間一般同様程度のかわいらしいものだ。
誰でも多かれ少なかれ妄想しているに違いないのである。

私の場合、学生時代から電車通勤が長いということもあって、少しでも空いた時間ができるとすぐに妄想タイムに入る癖がついてしまった。
だから通勤時間や睡眠導入時間を巧みに利用して、実に思い通りの世界像を描く才能に長けている、と自負している。
さて。
私の妄想の世界では、私は1Kに住んでいる。
多分3階建てのアパートの2階だ。
たまに彼が訪ねてくる。
私は緑のマグカップでココアを出す。
マシュマロの浮いたやつだ。
窓の外は雨が降っていたりする。
夕ご飯何にしようか、と話したりする。
時には、彼は彼でなくなって旦那になる。
小ぶりのテーブルを挟んで晩酌をする。
肴は味を濃い目につけた牛肉の時雨煮だ。
いつも夕方になると、一緒に商店街に買出しに行く。
日本酒にあうつまみの材料を二人で探すのだ。
まるで何かのCMみたいな光景だが、それは気にしない。
買出しから帰ると、台所で一緒につまみをつくりながら一杯やる。
なんて幸せなんだろう。
好きな人と一緒に台所に立つというのは。
やはり良好な関係を気づくのは日々の会話だ。
晩酌というのは何と素晴らしいツールであろうか。
そこで私は気づく。
私は彼が欲しいのだろうか、晩酌相手が欲しいのだろうか。
それとも、おいしい食べ物が欲しいのだろうか。
どの妄想も相手の顔はぼんやりしているにもかかわらず、ご飯やつまみのメニューはまるで一眼レフでとったように美しい画質で記憶に残っている。
ああ、私は、やはりおいしい食べ物が欲しいのだ。